子どもを授かり、産み、育てるという事

自宅のトイレ故障中・・・
 原因は分かっているのだけど、トイレが使えないのは死活問題なので修理の業者の方を待っているところ。事務局にいかないと出来ない仕事ばかりなので、とりあえずブログを更新してみることにしました。月末で仕事はたくさんあるので、出来るだけ早く事務局に向かいたいところ・・・。
 近所の鍵を忘れた人から「あとで欲しい」と言われ、さらに予定が狂っています。今日も忙しい1日になりそう(汗)

理想と現実

 地球冒険隊出発前日、「おめでとう、赤ちゃん出来てるね〜。まだ袋だけだけどね!」といつも見てもらってる先生からコメントを頂きました。素直にうれしいかったけど、それ以上に「まず、『行かない』という選択肢はない」でも、「誰かに相談すれば絶対止められる・・・」と思うと、喜びは一瞬にして消え、明日からの10日間をどう乗り切るか?を出来るだけ理想の答えに近づけるためにない知恵しぼっていろいろ考えました。活動も無事終了、母子ともに元気に帰国。その後も出産経験者に話をすると「もう少しおとなしくしてないと!」と言われるような事ばかりやりながら今まですごしてきました。
 
 妊娠が分かる直前位から「スタッフ会の充実」を図るべく、毎月第4日曜日の夜に定例スタッフ会を復活させ、定着しつつあります。その他にもリーフレット作りやスタッフ読本作りなど、今まで延び延びになっていたところが少しずつ形になりつつあります。(いや、まだ方向性が見えて来たところって感じかな?)いろいろあるけどまぁ順調に進んでいて、私のおなかもどんどん大きくなっていて・・・。手や足の形が出来て、胎動を感じられるようになり産まれてくる喜びが大きくなるのと同じく、社会と隔離されていく不安が大きくなっていきます。妊娠していない時は受け流せた些細な事もいちいち感情的になってしまったり、受け流せずにいる自分に気づく。原因は分かっているのだけど、でもコントロールできないでいます。
 ありギリスでの仕事は、9:00→17:00と時間が決まっている訳ではないし、ある程度融通効かせながら仕事をさせてもらってきました。大変な事もたくさんあったけど、でもそれ以上にありギリスに関わっている事が大きな太い柱になっていました。もちろんこれから先もきっとそうだと思います。
 きっと産休・育休に入って、私がいなくても前に進むだろうし、むしろいない方がスムーズに進む事もたくさんあると思います。でも、これから先おなかがもっともっと大きくなっていくと、さらに不安が大きくなっていくのだろうと思います。小さな団体に所属する私ですらそうなのだから、大企業でそれなりのポジションについている女性は妊娠や出産は喜び以上に挫折に感じてしまう人がいるのも今はよく分かる・・・。
 2人3人欲しいと思っていて、間が2歳離れたりすると、前後6年は社会と隔離された状態になるのだから。そしたら、戻ってくる場所なんてないよね・・・。

バランス。折り合いをつける

 「子どもを産む事」「育てる事」喜びにはかなわないとよく聞くけど、大きな責任を持たなければなりません。NESやテーマに来ている子ども達が成長するのも我が子を見るようにして関わって来た(つもり)なので、自分の子どもは絶対それ以上なんだとは思います、頭では分かっていて、「理解」はしているのだけど、今までのように動けなる事の不安が大きく、「納得」するところまで気持ちの折り合いを付けることができていません。


こんなに不安を感じてしまうのは、何が原因なのだろう?
妊娠してみて、車のない生活をしていて、たくさん感じるところがでて来ました。
 ・妊娠してすぐの一番きつい時期、見た目は変わらないので席を譲ってもらえない
 ・バスにはなんとか乗れるけど、降りる時はベビーカーが通らない
   その他乗客も「早くして欲しい」的視線を送っている
 ・街の中に座って休憩できる場所が殆どない(=数が足りない)
 ・トイレ(個室)にベビーカーを押して入れない
 ・仕事用の荷物、子どもをだっこしたら持てない


「産めよ育てよ」とは言うけど、産みたくなる環境、育てたくなる環境、安心して社会復帰できる環境が全く整っていないんだと思います。お父さんが協力してくれて、おじいちゃんおばちゃんが協力してくれて・・・。それでも大変な子育て。今でも色々と感じるところがあるから、産んで外に出始めたら「子育てって甘くないな。」ともっとたくさん感じて見えてくるのだと思います。
 「喜びが大きい」のは、人の子が育っていくのを見ても分かるのですが、「家族を大切にして、子どもを育てていく事こそが最高の喜び」心の底からそう感じられるような社会になるといいなと思います。
 でも、そういうのって行政や企業に求める前に、私たちのようなNPOの立場で、社会的使命に基づき状況改革していく方が近道なのかもしれないと漠然と考えていたりします。見通しが立ったところで、企業や行政を巻き込んでいく。育児でchachahaの濱砂さんとかその辺りの事を痛感しながら「これではいけない!」と活動して来た方なので、どこかで話を聞いてみても面白いかもしれないと思っています。育休明け復帰せずに別のNPOを立ち上げていたりして・・・(笑)。

 ありギリスに関わりながら感じていたことは、「継続して子ども達の成長を見守れる場所、複数の親でない大人が関われる場所が必要」だと言う事です。言うだけは簡単なのだけど、ターゲットを絞りつつ、大きな流れ(低い低いハードルをいくつも超えながら成長できる)にのせてあげられるような活動を提供できたら良いなぁと思います。
 それから、子どもを育てている親(特に母親)をサポートしてくれる場所も一緒に準備しないといけないと思います。私は、「一緒にいる時間の長さではなく、濃さ」だと思っています。(もちろん長くすごせた方が良いとは思うけど・・・)どんなにお母さんが忙しくしていて、子どもがちょっと寂しい思いをしていたとしても、しっかり関わってくれる時間があれば、子ども達って意外と安定しているものです。でも、やっているつもりで出来ていないことの方が多いのかも・・・(笑)。母親が仕事に対して「やりがい」「生き甲斐」を感じるのと同じくらい、「子どもを育てる大切さ・楽しみ」を味わえるような時代になって欲しいなぁ。いや、したいなぁ。
 子どもにとって母親父親は一人ずつしかいません。仕事・家庭・生き甲斐・・・バランスをとりながら楽しめる人生設計をこの際まじめに考えてみたいと思います。


 「あくまで予定は予定、計画通りになんて行かないさ!」「でも、これだけは!」というところは譲らずにいけたら良いなと思います。実際に子どもをだいてみて、育て始めてみて、今のこの気持ちがどう変わっているのやら・・・。