思い 重い

管理は手段であって目的ではない

 いろいろ書いたけど、全てタイトルに集約されるので削除。

もやもやを見える化

 「やらないといけないこと」はたくさんあるのだけど、あれもこれもそれも・・・とただ思い悩んでいたら、膨大な量の仕事や調整をやらないといけないような気がして気分が重たい。でも、やらないといけない事、もやもやも含めて全て書き出してみると意外に少なかったり、自分じゃない人に振った方が仕事が早くすんだりする事が多々ある事に気付く。すぐ片付ければ良いのに部屋も散らかるとどんどん片付ける気持ちがなくなってしまう。
 今日は事務局で編集作業をしたけど、整理してみてもやらなければいけない事はたくさんあったけど(笑)、ゴールを決めて役割分担をしたので、あとは端から片付けていくだけ。

意味があることをしたい

 1日は24時間と限られている。自分のためだけに使えればどんなに楽しいのだろうとも思うけど、自分のためだけに使える24時間であれば、「いつでも出来る」と思って、「なにもしない」のだと思う。現に子どもが産まれて拘束される時間がとても長くなったけど、産まれる前よりは自分の時間が確保できているし、仕事も集中して取り組めていると思う。「今しか出来ない」から楽しいし集中できるのだと思う。

 立場上(性格上かな?)、調整役に回る事が多い。相談を受ける事も多い。それに伴いサポートすることもある。アフターフォローをすることもある。本人が頑張れるよう、楽しめるよう協力できることがあれば、自分の時間を割いても別に何とも思わないし、むしろ楽しい。
 でも、それが裏切られたり解決する気がない問題であれば、いらだちだけが残ってしまう。何のために私は自分の時間を割いてこんなことをしているのだろ。これだけの時間があればこんな事もあんなこともできたのに・・・と思ってしまう。

 どんなに大変でも、どんなに回り道のように感じても、結果意味があれば後悔はしないのだけど・・・。

問題は何なのか?

 人と関わる事がとっても多い団体なのに人と関わる事をあまり得意としない私が事務局長である事自体間違っているのかもしれないけど・・・。
 それはさておき、プロジェクトの進行途中で問題が起こったら、「あの人が〜していれば・・・にはならなかったのに」と人と人が敵対してしまうことがある。そうではなく、プロジェクトメンバーvs問題という形で向き合う姿勢が大事なのだと思う。そして何より、人を責める前に自分の立ち振る舞いがどうだったか反省した上で発言できるような人間にならなければと思う。難しい・・・。

 本人がそれを望んでいるから・・・と周りが躍起になってサポートしたり叱咤激励しても、本人は口だけで自分の問題になっていない事が多い。問題は別の場所に隠れていることもある。ケースバイケースだけど、焦らずじっくり問題がどこにあるか探り、明確にした上で、その問題の解決策を探っていきたい。問題と思っている芽を摘んでも、葉っぱや根っこ、土が問題であれば何の意味もない。