どこに向かおう?

ここ2年くらい「はたらくって何?」「生き甲斐って何?」「大切なことって何?」「本当にやりたいことって何?」みたいなことを、とりとめもなく考えています。答えはまだ出ていません。でも、随分整理されて来たような気もしています。最近「おうちえん」ネタばかリな気もしますが、私のやりたいことの先を行く方なので、共感できる部分も多く、過去のブログに今の私の気持ちが書いてあったりします。
↓私は今このあたり自然菓子工房 欧舌/半農半菓/ブログ2009年7月28日のブログ「意識的に生きる〜「やる」と決めた時〜」より抜粋

20代の後半の頃から、いつか保育園みたいなこともできたらなと漠然とあった。
結婚し、子どもがそういう時期になる度に、できたらいいなと思ってたが、
常にさらに下の子がいたり、僕自身もなんやかやで、無理してやれば嫁さんに迷惑がかかること必至で、見送っていた経緯もある。
特に今通わせている幼稚園に不満があるわけでもないが、
こうであればもっといいなという思いもある。
ちょっと遠くまでいけば、いい感じのところもあるが、毎日のことだけにそれはストレスだ。
同じような思いを抱く人の話を聞くたびに、その必要性は感じてた。
「ベスト」がないなら、つくればいい。
だけど、現状的に自分が今始める余裕はなさそう・・・。
そんな感じで時が過ぎてきてた。

ありギリスに参加し始めて間もない頃、O氏と「ありギリスの将来」について話をしたことがありました。「1階が保育園、中2階が老人ホーム、2階が職員室。年寄りは自分たちのフロアに階段使って上がる。勿論車椅子用のスロープもある。園児達はスロープ(=滑り台)で遊ぶために繰り返し中2階に上がり、スロープで遊ぶ。ひとつの建物の中で世代間交流が生まれる。そんな施設を作りたいなぁ」と話すのを聞いて、素直に「それ絶対作りたい!」と思いました。気付いたら事務局長になっていた(笑)
ちびっ子キャンプをやってみました。楽しかった! 引き継いでくれる後輩ができ、彼女の形にアレンジしてやってくれています。勿論現在進行形。子どもを産んでみて、未就園児・親子が思い切り遊べる場所がないと痛感しました。子どもプラザの存在も大事だけど、私が求めているものとは違う。ということで、ひょうたん村をやってみました。解決したい課題はたくさんあるけど、楽しかった! O氏が話をしていた私も作りたいものには少しずつ近づいている気がしています。

育児は楽しいのだけど、社会から遮断されて、隔離されている気がして、その不安な気持ちをなくすために必死で読んだり書いたりしていた気がします。「ありギリス頑張らないと!」「私がやらないと・・・」とおバカな思い上がり。一方で目の前にいる我が子とのんびり向き合いたいのに・・・と日々葛藤。出産時にプレゼントしていただいた糸井重里さんの本にはまり、片っ端から読んでいきました。糸井さん以外の本も間に入れつつ、肩の力が抜けたり、気合いが入ったり。そして、「はたらきたい」という本に出逢いました。この本の最後に糸井さんが書いている言葉が全てでした。

自分にとって、本当に大事なことって何だろう。
自分にとって、本当に大切な人って誰だろう。
このふたつを、本気で思っているだけで、
いい人生が送れるような気がする。

吹っ切れました。今は家族第一でいこう!一切ありギリスのことを考えずに楽しくぎゅっと濃縮した「家族の時間」を過ごしました。幸せでした。勿論「幸せ」も現在進行形!

子育てしながら常々感じていること。子どもを育てていると、いやでも自分と向き合わないといけないのです。子どもは自分の鏡で、自分のイヤなところも漏れなく吸収して真似してくれるのです。もうホント、いやでたまらない瞬間(笑) 一方で絶対こうはならない!と反面教師にしている、母の子育て方法の一部。子どもを関わりながら「はっ」とすることがある。母が私にしたように、私も我が子に接しているのです。子どもだけでなく、自分の中の母親とも向き合わなければならない・・・。いい部分もいやな部分も、しっかりしみ込んでいるのだなと思います。仕事も子育ても頑張った母は尊敬しています。でも夜勤でいないと寂しかったので、子どもに同じ思いはさせたくない!と、これでもかなり意識して、色んなことをセーブしているのです。いつまでも「〜しなさい」という母に「あなたとは状況が違うのだから(話しても分からん)」とどこかで思っている私。話さないと始まらないよね。2008年9月30日「意識的に生きる〜魂の記憶〜」より抜粋

彼女の中の何かを引き出していたのは、僕の彼女に対する思い込み、レッテルだったのだ。
否定していたから、否定された。
不足に思っていたから、不足を言われた。
受け入れなかったから、受け入れてもらえなかった。
それは、まるであわせ鏡のように。

8年前まで、最大の障害だとおもっていたものが、今では最大の協力者。
彼女がいるから、今のうちのいろいろな循環がうまくまわる。
否定し、離れていたら、どうなっていたのだろう、と思う。


「あれもやりたい」「これもやりたい」「仕事もちゃんとやりたい」「子育てもちゃんとやりたい」と思いつつ、「出来る訳なかろうが!」と分かってはいるのです。「やりたいこと」「やるべきことと」「(与えられた時間内で)できること」のバランスがとれず、やる前から消化不良のゲップ・・・(笑) 
学校や家庭で居場所が作れず悩んでいる子どもの声や親の声を聞きながら、ありギリスと出逢った頃の自分や子どもの頃の自分を思い出します。出来ないくせに「やる(頑張る)」と言って出来ずに、バツが悪くなって嘘をついてごまかして、更に取り繕って訳が分からなくなって人間関係ぐちゃぐちゃになったことも数しれず。初めて参加したありギリスのキャンプは変な人ばかり。空港のロビーでいきなり靴下脱いで爪を切り出す人、きれいなネパールの山を見つつ日本の失業率について議論する人(現在旦那)、小休憩の度に水分補給といいコーラを買ってくれるおじちゃん等。意味が分からないことばかりだったけど、なんだかとても居心地がよかった。飾らなくていい!変でいい!ありのままの自分でいい!場所だったのです。出来なかった自分をリセットしたいと思って出来ないのです。リセットしたつもりでも、結局同じ問題で躓いてしまう。いいとこも悪いところも自分。そう思えた時、はじめてスタートラインに立てるような気がするのです。あれこれ悩んでいる人、日常のなんだかわからないけど追われた感じの生活・・・。そこからちょっと離れて、自然の中でのんびり過ごすと、自分と向き合えるのではないかと思います。ありギリスと出逢って、ありギリスに関わる人とであって、私変わりました。誰でも本気になれば「やれる」し、「かわれる」と思います。「思いをカタチにする」ことって、もう本当に楽しい!その中で「自由」や「責任」についても、失敗しながら身をもって学習出来たと思います。
今も「あれも」「これも」やりたい私なんだけど、これからは「あれや」「これや」を削ぎ落として、本当にやりたいと思うことに焦点あてて邁進しないと!と思います。

「子供をダメにする」親の研究〜3000人の聞き取り調査で分かった!(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)も読んでみました。幼稚園や保育園で仕事をしている人の子どもは比較的良く育つらしいけど、自分の子育て見てて、そうは思わないのです。「いい母親がいい保育士ではない」「いい保育士がいい母親ではない」と思ってはいるのですけどね。
まとならなくともまとめたいのだけど・・・。「失敗させる」「(自分や問題と)向き合う」「考える」「気持ちを伝える」4つは欲張りかもしれないけど、私流の子育てでは意識してやっていきたいなと思います。昔のブログに、子育てで大切にしたいことは「壁にぶつかっても、その壁を越えられる勇気を持てる子ども」って書いた気がするな。

2012年2月1日自然菓子工房 欧舌/こびとのおうちえん/おうちえんの日々(ブログ)「風が吹いている」私がお邪魔した日のブログより抜粋

始まりはとても小さなこと。
「心が動く」ということ。
だけどその小さな小さな一粒の種が、やがて必ず花を咲かせ、実を成らす。
大人になるにつれて、「でも、だけど、どうせ・・・」という言葉が後からついてきて、
種を掘り起こすようになってしまう人も多いけど、ね。

今日もおうちえんの子どもたちは、心の動くままに、遊んでいます。
そして自分の心を見失わずやりたいことを実現していくために、
環境や誰かとどう向き合っていくのか、
調和して生きるということを、日々体験の中から学んでいってほしい。
そう願いながら、見守る大人たちがいます。

あらためて、ここはすてきなひとつの場になったなあと思う今日この頃。


さて、私はどんな花を咲かせよう?どこに向かおう?
今日はとりあえず吐き出しただけ。まとまらなくてもいいや♪