夏の終わりに

ここ最近、挨拶代わりに「朝夕随分涼しくなってきましたね」「夏が暑すぎたからもう何だか寒いくらい」とかいう話をよくします。駅や旅行会社、電車の中吊りも「紅葉狩り」「秋の味覚を満喫」等のキャッチコピーがたくさん溢れています。たぶんもう「秋」なのでしょう。
今日は「9.11」、合わせて考えずにはいられない「3.11」その日、テレビを見ていました。中継なのだから、今まさに「現実に起きていること」なのに、何だかハリウッド映画のワンシーンを観ているようでした。そう思うことで、現実逃避していたのかもしれません。震災後、「復興支援」などでたくさん現地を訪れる人がいました。なんだか朝起きて子ども達と食事をして「いってらっしゃい」と送り出す繰り返す何気ない毎日を過ごすことが申し訳ないような気がしたこともありました。今、私がすべきことは次世代育成。もしまたこんな大きな震災がきた時にも、仲間と協力して乗り越えていける気持ち、いや精神力を持った子どもを育てることだと思い、日々目の前にいる我が子と過ごしてきました。

子ども達を送ったいつもの道、木の葉ににセミの抜け殻を見つけました。「あれ、まだいたの?」と思ってしまった私。
今から夏って時「初物!」ってfacebookに写真をあげたら「いいね!」をたくさんもらいました。みんなすごく注目してたんですよね。たくさんセミが鳴くようになると、珍しくなくなりました。夏真っ盛りになると、じりじり照りつける太陽の日差しの下で「ミンミン」「ワシワシ」叫んでいるセミ達。そのセミ達を捕まえようと、網もって追いかける子ども達。新学期が始まり「いつも」の生活に戻りました。網もって追いかけている子どもはもう見ません。
でも、今日も明け方こっそり地面からはい出してきて、飛び立っていったセミビンラディンをやつけて、もしかしたらアメリカ的にはカタがついたのかもしれないけど、オリンピック招致が決まってお祭り気分な日本かもしれないけど、「最後の一人が『いつも』の生活に戻れるまでが復興支援」なんだってことを、セミの抜け殻を見ながら思った朝。もう季節外れだから、今更出て行けない・・・と土に埋もれたままになるセミがいませんように。